ナウシカの父の憧憬

世の中の疑問に思ったことを綴ったブログです。

今の農業は滅び去る運命だ

日本の農家の高齢化が進み後継者不足や、多大な耕作放棄地が発生するなど農業の危機が叫ばれている。

一部輸出の強化を試行する動きもあるが、国家としての戦略性は乏しく今のままでは抜本的な問題解決には程遠いだろう。

日本の農家は規模が小さく労働生産性が低い上、ホームセンターより高い値段の資材を農協から買わされる為非常にコストが高いと言われている(最近は小泉議員の奮闘で少しは良くなっている様だが)。

本来自由化により生産規模を拡大し、安価に資材販売する業者から自由に大量に購入出来ればずっと生産性が高まるのは誰の目にも明らかなのに、何故こんなことになってしまっているのか。

 

<日本の農業はなぜ衰退したのか>

明治時代初期には零細養蚕農家により生糸は生産されていたが、富岡製糸場の創設を始まりに近代化が進み、製糸業はその後日本経済を支える一大産業に発展した。

しかしその過程の中で、養蚕農家を仕切っていた仲買人は利権を奪われることから、当初その抵抗は相当激しかったはずだ。それでもその困難にもめげず当時の政治家は養蚕業の近代化をやり遂げたのだろう。

では戦後日本の農業の歴史を当時に例えてみるとどうなるか。

明治維新期に零細養蚕農家を仕切っていた仲買人の胴元がいて、政府が近代化のため大型製糸場を創設しようとしている動きを察知。

利権を奪われると感じた胴元は「製糸場が出来ると農家の職がなくなる。工場でもすぐ首を切られる。養蚕業を守れ。」などと喧伝し養蚕農家をたき付け大規模な反対運動を煽った。

激しさを増す運動に対し、養蚕農家票を失うことを恐れた政治家は、製糸場の建設を諦め、参入障壁を設けたり補助金の交付による零細養蚕農家の保護を約束。

胴元は引き続き農家を仕切る利権を得て生産物を一手に販売する他に、農家に資金を貸し付けたり高い資材を売り付けたりして利益を独占。養蚕業者は零細なまま、高度化することも高い競争力を持つこともなく、日本を支える産業には育たなかった。

と、差し詰めこんなところが戦後農業の歴史であろうか。現在の政治家レベルでは、明治維新は間違いなく失敗したであろう(胴元が誰であるかは敢えて言わないがお分かりでしょう)。

 

<農家に後継者がいなくなるのは当然だ>

ではその結果、今の農業がどうなったか。

例えば零細農家に後継ぎと期待される長男が生まれたとしよう。

その後成長した彼は「我が家は未だ零細な農家だが、自分の力で将来農地を広げ、世界に農産物を輸出出来る様な大規模農家にしたい」との思いを抱き、後継ぎとなることを決意する。

ところが日本の農家は、零細でも補助金などにより生活していくことは出来る為、農地を手放そうとする人は少なく、本来どの産業にも備わっているはずのダイナミズムが存在しない。

農地を拡大しようとしてもなかなか適当な土地は見つけられず、資金の調達先も限られ、色々な規制もあって大規模化・組織化することも難しい。

また補助金の内容も年によってまちまちで、一貫した生産戦略が立てられない。

更には機械や資材類も高くつくものしか手に入らず、結局生産コストは非常に高くならざるを得ない。

これでは輸出を大きく増やせる様な農産物の生産など到底無理で、零細農家を細々と引き継いでいくしかなく、自分の将来に全く希望が持てない。

かくして彼は、農家の後継ぎとなることを諦めた。おそらくこんな心情になるのではないだろうか。

自分の将来に希望が持てない職業に就きたいと思う人は誰もおらず、農家に後継者がいなくなるのは当たり前だろう。

そしてその原因は、農家自身が作り出したものでもあるのではないだろうか。

 

<政府・全農の責任>

個人農家の場合、農地は子孫が相続することが前提となり、子孫に後継ぎがいなくなればいずれ廃業となるしかない。

日本の農業は個人経営が基本となっているため、一子相伝で確実に引き継がれる仕組みが無い限り、産業としての持続可能性が欠如していると言わざるを得ない。この問題解消のためには農家を集約、法人化・大規模化し、後継ぎがいなくても誰でも継承可能な、また誰もが継承したいと思うような強く魅力的な組織化を推進するしかないはずだ。

しかし実際の農政がやってきたことは全く逆としか思えず、国や全農はこの問題を一体どう考え、今まで何をやってきたのだろう。

 

<農業のたどる道>

政府・全農・農家が一体となって作り上げてきた今の閉鎖された農業の仕組みは、零細農家を生き長らえさせるが農業を滅ぼすものであったと言える。そしてそれは戦後の農業の歴史が証明している。

人は誰しも変化を好まない。自分の慣れた仕事で安定した生活を送りたいと思うものだ。しかしそんな思いとは関係無く、周りの環境は大きく変化していく。その変化に眼を瞑りただ今まで通りの仕事を守ろうとするだけなら、江戸時代の鎖国と同じだ。世界から取り残され、ある日黒船が現れた日に慌てふためくしかなくなる。

農業の自由化を行なえば、資金力や販売力のある多くの大資本の参入も予想され、全農の取引シェアは大きく低下し、競争力の低い零細農家の廃業も増えるのだろう。

しかしそれはどの産業も通ってきたやむを得ない道で、そうしなければ後継者もいなくなり、結局自ら滅び去るしかない。そして今や農業は滅びの淵に立っており、傍から見るともう手遅れのように思える。

農業が復活するためには、自らが痛みを負ってでも自由化を推進し、海外輸出も拡大していけるよう商品力や生産力を高めていくしかないだろう。彼らがそのことに気付く日は来るのだろうか。